嫁姑の関係は、いつの時代も、どこの地域も問わず話題にのぼりますよね。
この関係がスムーズなものであったならば、どれだけのストレスが解消されるでしょうか。
パートナーは自分の意思で選びますが、親御さんは選べるわけではないですもんね。
家庭ごとの価値観があって、結婚というのは新しい価値観を夫婦で作り上げていくものだと思っています。
が、思わぬ横槍が入ることもあります。
例えば、子どもの可愛さと行事というのは嬉しいズルさみたいなものがありますね。
いろんなものが相まって自分たち夫婦だけではなく、両家の親事情や親の気持ちも絡んできます。
家庭によっては、事情と気持ちの板挟み・・・
なんてことも出てくるんじゃないですかね。
お客様からも、ご相談を打ち明けられることもあります。
決して、珍しいことではないんですよね。
みんなそれぞれが良かれと思って発言や行動を起こしていても、葛藤や衝突ってどうしても起こってしまいます。
今回は、この点に触れながら実践的夫婦の共同作業を話しますね。
目次
3つのコツ
①価値観の共有
②歩み寄り
③ズバリ!お金
お金と聞くと生々しくて「つまんない人」とか「なんか面白みもない冷たい意見だな」って思いました?
夫婦喧嘩が少ない人、お金の使い方が上手な人、お金が貯まる人、裕福で無くてもお金に余裕を感じて暮らしている人の共通点は、現実という地に足を着けてる人ですね。
現実のうえに夢や将来を見据えて、愛情表現のひとつとして家庭内教育の方針、学校などの教育機関の選択をしているんです。
夫婦の共同作業の第一歩は、経済状況の共有と価値観の擦り合わせです。
価値観の共有
経済状況は、数字の話しですから認識の共有は簡単。
大事なのは、価値観や感覚の擦り合わせ。
数字は数字でも、感じ方って違いますもの。
幾らたくさん稼いでいても「もっと、もっと、もっと・・・」と、延々と求め続けて満たされない人。
慎ましくも「最低限、これだけあれば貯蓄もできて幸せに笑って過ごせる」と、夫婦で笑い合えている人。
様々なんです。この差って、なんでしょう?
私自身の経験、多くの夫婦をみた答えは感じ方こそ、心の余裕なんです。
そして、あらゆる判断の分かれ目を担うのがお金。
そのお金に余裕を感じられる生活か?です。
ここの共有がなされないと、なぜパートナーがその判断をしたのか分からず、「いつもなら…」とパターン化の中で『理解できない』と思い込みが始まり、夫婦間に溝ができ始める切っ掛けとなることもあります。
理解あっての歩み寄り
例えば、子どもが生まれて間もない頃の行事といえば、お食い初め(100日目)。
ちょっと大きくなれば、子どもの日の飾り兜。
男の子の人数分だけ必要になる家庭もあるでしょうね。
家には置くとこもないのに…結局、実家に置かせてもらう場合もあると思います。
行事の準備や当日に起こったことは、いろんな背景や過去に起こったことと繋がります。
だからこそ、誰もが大事に丁寧に、関わる人を見ておいたほうが良い気付きと学びがあるんです。
親からすれば、自身の子どもの家庭(親から見た自分たち夫婦)というのは、想像しやすかったり自分がフォローをすれば良いという考えになりやすいと思います。
問題は、相手の親御さん事情への配慮の仕方によって、複雑化してしまうことは多いようです。
こんな場合は、どうでしょう?
ご主人の親御さん
年金と余裕のある貯蓄で生活。仕事はしていない状態。
あなたの親御さん
両親は、二人とも現役で働いている。
祖父や祖母のお世話と、まだ自立できない状態の兄弟の子育て。
週末にまとめて家事を済ます生活サイクル。
そして、あなた達は経済的余裕のない状況としましょう。
そんな中で当然のような意識で、貯蓄で生活している側が行事を主催。
現役で仕事勤めをしている親御さんを主催者側の家に呼び寄せての開催。
「(子どもの行事は)やらなきゃいけないでしょ?」という言葉や価値観は、子どもに関わることなので否応ない圧を感じるものです。
子どもを理由にされると選択権が無くなる場面て、多々あるんですよね。
こればかりは、難しいです。
行事の為にいろいろと無理をするのか、気持ちの余裕という日々を配慮するのか…
葛藤です。
主導権が忙しくない人に有って反論の余地がない立場や状況に、私なら面白く無さを感じて不快に思うことでしょう。
日々に時間にも余裕がない側が、時間を持て余している側に合わせる。
文字に起こすと分かりやすいですが、不自然さがありませんか?
それぞれの趣味嗜好
私の場合の話しになりますが、行事をすること自体に興味があるわけではない気質です。
自分たちに関すること、結婚式でさえ「写真だけで良いかな?」と思っていたほどです。
大事ではないとは言いませんよ?
経済状況と親御さんの状況を考えたうえで進行していく。
この観点を持つよう平常時に親御さん達に促しておきましょう。
具体的なイベントの時に価値観の擦り合わせを求めると、相手が不快感を覚えます。
「今、言うの?」
「それより、具体的な進め方とかの話しが大事でしょ?」
「こっちは親切心で、少しでもあなた達が手が掛からないようにしようと思ったのに!」
自分の気持ちにフォーカスしてもらおうとする反論が来るものなんです。
得策ではありませんね。
何も無い時だからこそ、こちらの価値観への理解、歩み寄りを示してくれる可能性が出てくるんです。
お金の価値観
話しは私のケースに変わりますが、お金の管理をする役割は私でした。
どんなに経済的に困っていても親からもらったお祝い金は全額、子ども名義の口座に入れていました。
つまり、行事ごとは全額、私たちの出費。
ここについては、家計状況からして生活費からの出費は正しかったのか?と今でも疑問があります。
そう思うからこそ、ご相談をよせられた時にはお客様に今一度、問います。
私の場合は金銭的困難もさることながら、人間関係に軋轢や誤解、お互いを冷静に理解する機会を失っていた部分も大いにあったと思うからです。
お金の余裕は、心の余裕に直結しますから。
子どもへの全額貯金は美談ではあるけども、のちのち暮らしに余裕が作れて過去を振り返った時に疑問が残る方って多いんですよね。
自分だけで何とかしようと、意地になって踏ん張りすぎていたという共通点もあります。
子どもは立派なものを用意してお祝いしなければ喜ばないわけじゃないです。
まだ自我も目覚めていない赤ちゃんは、職人があつらえた兜でも折り紙で作った兜でも、笑顔でお祝いする親の雰囲気に喜んでくれるものであり、子どもです。
専業主婦は自分の化粧品、服も買えない状況で我慢して、働いて稼いでくる人間の見栄に合わせたお金の使い方をしても・・・ねえ?
私は、自分にはお金を使ってはいけないという強い思い込みを、早くに払拭しておけば良かったと思っています。
「稼いでないから…」なんて夫婦においては無用です。
もしも、パートナーに稼いでないことを盾にされたなら「結婚を決意したのは、どんな背景があったにしろ、あなた。子どもは1人で産めるわけもなければ、勝手にできるわけでもない。決めたのも行動したのも、あなた。」て言って良いですよ。
もしも、あなたの希望で働いていなかったとしても「働きに出ないことを認めたのは、あなた。認めるって決めたってこと。」と言っていいんです。
言い方の工夫は家庭ごとにあるでしょうが、言わんとすることは伝えてください。
これが論理的思考であり、【大人の会話】です。
子どもが居れば、なおさら大人の会話は必要です。
価値観よりも結果と道徳心を根底に話せば、年齢とか『働いている・いない』とかは小さなことになります。
現実を前に価値観は小さなことだと解っているから、人は状況を盾にして自己都合をパートナーに『ぶつけて』しまうんですよね。
昔の自分を相手にしたら
離婚するまでは、私は生意気な嫁だったことに気付いていなかったですね。
負けず嫌い、マウンディング返し型のイヤな嫁(笑)
実家の母と祖母の仲が最悪だったことから、『嫁と姑の間柄ってそういうものだ』と思ってしまっていました。
そういうものであっても不思議はないと思っていたんです。
共存という思考が、ホントに皆無でした。
他人事のように当時のことを振り返って自分の気持ちを整理してみると(肩肘張らないで話せていたら違っていた!?)そんな想いも頭を過ぎります。
まぁ、気付いたのは離婚後でしたけどね(笑)
元旦那の母からの呼ばれ方ひとつにしても、私への確認も了解もなく、当然の押し付けで呼び捨てにされた時も『ピキっ!』てなったものです。
「結婚するってことは、うちの人間になったんだから呼び捨てよ。」
敵と思われての発言ではないことが分かっていても、イヤでした。
思い返してみると、その原因は過去にあったんです。
まだお付き合いの間柄の際の一幕。初めて実家に遊びに行った時の話し。
私と元旦那と元旦那の母、三人での食事中に彼が不意に離席。
(なんだろ?)と思っていると…
母「どうせ、部屋で一服しているんでしょ…で?あなたも吸うの?」
昔は、ヘビースモーカーだった私。「はい。吸いますね。」
母「あら、そう…なら、息子に吸うのをやめさせてって言っても無駄なのね」
(言い方…)
カチンと来るものがあり、(こういう人か)と元旦那の母の人格として認識したことを思い出します。
せめて軽い口調で言ってほしかったものです。
「二人とも、吸うのをやめたらいいのに(笑)」(ちょっと困り顔の笑顔)
となれば、私も『分かってはいるけどやめられない』という反応で「そうですよね。」と、母として心配する気持ちの理解はできるものです。
それでも、私は子どもが生まれてから顔を見せに頻繁に足を運んでいましたよ。
ここで大事なことは、悪気の無さは問題ではないんですよね。
かえって、悪気がないからタチが悪く感じる対応があることは、普段の自分自身についても含めて気を付けたいところです。
まとめ
何より大事なのは、歩み寄ろうとする気持ちを持つこと。
その為には、相手の気持ちや事情を知っておくことですね。
夫婦によって、それぞれの役割は違うものです。
稼ぐ人、家事をする人。
共働きだから作業分担は、出来るだけ平等にする夫婦。
叱るのはお母さん、受け止め諭すのはお父さん(お母さんが叱る理由の理解も促す)。
役割を分けていても情報共有しておきたいことは、お金です。
あらゆる判断の分かれ目を担うのがお金です。
ここの共有がなされないと先にも書きましたが、なぜパートナーがその判断をしたのか分からず「いつもなら…」とパターン化の中で『理解できない』と思い込みが始まり、夫婦間に溝ができ始める切っ掛けとなることもあります。
毎月でも隔月でも良いから、報告会という共有が大事です。
今は、アプリを使って家計を夫婦で情報共有することも出来ます。
それを基に振り返りと理解の機会を作ってみては、いかがでしょうか?
いろいろと厳しい言い方もしていますが、切に願うこと。
自分の足で生きていける自分自身を作っていける暮らし方をしてほしい。
ファイナンシャルプランナーの私のお仕事は、その基盤づくりのお手伝いをすることです。
ご相談、お問い合わせ、お待ちしております。